2015.8.29
匂切れの刀は時々見掛けることがあります。これは刃文が元から先までの間で途切れて、一部の刃文が消えてしまうことですが、刀の傷とは違い美術的に欠点として見られます。こうした匂切れの刀は日本美術刀剣保存協会の審査で不合格になるかと云うと、匂切れがあるからNGになるとはなさそうです。匂切れの大きさや出る場所なども含めて判断するそうで、特別保存は難しいが保存刀剣でしたら合格になる可能性はあると云うことでした。
2015.6.2
最近休日には新緑の中をマウンテンバイクで快走し、気分をリフレッシュさせています。暑い日差しの下でも何の其のと云った感じです。途中コンビニでアイスクリームを食べながらの休息も楽しんでいますが、そんな折り、ふと店内の雑誌コーナーに目を向けると「日本刀入門」とか「日本刀図鑑」と云ったものが目に入ります。早速覗いてみると、その内容は上古刀から新々刀までの名刀を多数載せ図解で分かり易く解説しているのに驚きです。
近頃は女性の間で日本刀に興味を持たれる方が多く居るようですが、コンビニまでも日本刀の本を置くとは相当なブーム(?)となっているのでしょうと改めて感じました。女性に留まらず多くの男性の間にも刀剣に興味を以て欲しいと思う昨今です。
2015.4.12
先日刀剣会の役員会に行ってきました。昨今の会では高齢化と会員の減少に頭を痛めています。
刀はピンからキリまであり最上大業物とか最上作などと格付けがされています。またその様な刀は高価で財力がないと仲々手に入れられるものではありません。刀剣愛好家は格付けとは関係なく楽しんでいる方たちも多くいるわけで、そうした方たちをどう取り込んでいくのかが大きな問題となるのでしょう。
兎角、格付けや格式を重んじるところは権威主義になりがちです。刀剣愛好家の裾のを広げるためには、刀剣と関わりを持ってきた伝統や歴史・精神性などを含めて会の方向性を考える必要性があるのではないでしょうか。
2015.2.5
「木住野」は南北朝時代から室町時代に勢力を持った武州南一揆に属していたようで、室町時代後期には後北条に取り込まれていきます。
戦が始まる前には戦に向けて「陣触」と云う召集令状が出されます。秀吉は天正15年12月に関東・奥羽に総無事令を出します。これに呼応したものか天正15年12月24日に木住野大炊助の処にも届いた陣触の内容を要約すると下記のとおりです。
陣触
一、正月14日に八王子城を出発し15日に小田原城へ到着すること。
一、天下御弓矢立てであるから鑓・小旗など道具類は新しくし煌びやかにすること。
一、到着にあたり、人数や、鑓・小旗・鉄砲等道具も不足のないこと。
一、普請もあるのでまさかりは一騎に一丁づつ持たせること。
一、陣が長引くかも知れないので小荷駄の支度が肝要である。
一、正月の礼などは一切やめること。
一、妻子は何時でも八王子城に入れるようにしておくこと。
以上
右天下の弓矢に付き万端に出陣の支度をすること。
丁亥十二月二十四日
木住野大炊助殿
この陣触で見ると木住野大炊助は天正16年1月には八王子城ではなく北条の本拠地である小田原城へ行ったようです。
秀吉に下らない氏康に対し、天正17年11月に豊臣秀吉は北条氏康に対し宣戦布告をすることになります。その後木住野大炊助は天正18年6月の激戦であった八王子城へ戻って戦いに参加したか否かは今では解っていません。
2015.1.25
北条氏照の居城である八王子城へ行きました。名城100選に入る城で、本丸を守るその城郭は広範囲な尾根で囲まれる天然の要塞です。天正18年6月23日に豊臣勢の攻撃により落城しました。今回は割と平坦な処の主殿までを案内所のボランティアの方に案内をして頂き、その後は主殿の裏手より急勾配の山道で標高約460mmに位置する本丸、更にその奥にある詰の城と呼ばれる大天守跡を目指しての山歩きです。大天守の裏手にある深い堀切が見処で、また尾根には当時の石垣が残っている処があり、当時を偲びながら6時間位い歩きました。
虎口から見た主殿正門
当時は登ってくる敵を曲輪から投石などで攻撃したことでしょう。
今回の城めぐりで感じたことは、中世は山城で近世の城は姫路城を代表とする五層・六層の立派な大天守閣ですが、近世の立派な天守閣は中世の山城を平地に建てたもので、いわば天守閣は山を現していると思います。各階層は山城の曲輪に相当するもので、天守までの階段は急勾配で登りづらく攻撃に備えています。近世の城の天守は中世の本丸跡と同様に狭く、人が居住する場所とは思えず単に陣地の中心の存在を示しているだけに思えました。
2014.10.26
右上から左上が尾根で、堀切の中に立っています
中世城郭研究家の中田正光先生の講師で、北条氏照が居住していた「浄福寺城」、「滝山城」、「八王子城」の八王子・3名城めぐりの第一回として浄福寺城跡を歩きました。
JR中央線の高尾駅より陣馬高原下行きのバスで恩方事務所で下車。近くにある大手口と思われる処から東側尾根遺構-北側尾根遺構-本丸-中央尾根遺構-西側尾根遺構のコースで山歩きです。尾根には堀切と云って「V字」型に尾根道を横に深く切り込み敵の侵入を阻む遺構が処々あり、中にはロープの助けがあって堀切を上り下りして尾根を通過するところもあり当時の険しいさを伺い知ることが出来ました。
(比高約160mの急登のため健脚者対象でした)
2014.10.07
「以安来鋼兼房作」銘の軍刀を使い、畳表を巻いたものを20本作りこれを試し斬りしました。刃の研ぎ具合によりますが、玉鋼で造ったものより安来鋼で造ったものの方が炭素量が多く硬いと思われよく斬れました。しかし軍刀としてみれば酷寒の地で使用すると刀身が折れる危険性が高く実用的ではないのでしょうね。
2014.9.14
津田越前守助広・延宝六年八月日の脇差を拝見いたしました。直刃の傑作と云われるものでして精美な地鉄に元から先まで刃縁から刃先に向かって沸・匂が一面グラデーションとなり、刃中が明るく細かに輝く様に圧倒されました。流石は助広と云える逸品です。
2014.7.22
古刀は映りの形態には違いはありますが殆どの物に映りがあります。特に備前刀は鮮明な乱れ映りが立つことで知られ、映りが立つ刀と云えば備前刀と思いがちです。
備前刀の映りでも南北朝時代の物には段映り立ちます。刃縁に沿って元から先まで棒映りが立ち、棟寄りには乱れ映りが立つことを段映りと云います。先日備前の短刀を三振り並べて拝見しました。南北朝期の延文・貞治を代表する兼光は鮮明な段映りが立ち見事なものでした。また、南北朝末期の至徳年紀の幸光(小反り)にも段映りが立ち、共通するものでした。しかし、応永年紀の盛光には段映りは見られず棒映りだけでした。室町時代に入ると段映りは無くなり棒映りだけとなりますが不思議です。
2014.6.12
肥前国住一吉の現代刀は身幅は広く、元先の幅差が殆どなく、鋒が大きく延びた姿形の手持ちの重い豪壮な刀で、刃紋は互の目丁子乱れで焼きも高く派手な処に人気のある現代刀です。また刀身には彫物があり、表は草の倶利伽羅に上は刀樋、裏は蓮台に護摩箸で同じく刀樋があり、上手な作品でした。(買取なら35万円位かな)
古来からの刀と現代刀を並べてみると、身幅の広さと鋒の大きさから云って昔の刀は見劣りしてしまいます。しかし単品で見ると昔の刀には「用の美」と云うものがあり鑑賞すに値しますが、迫力だけが目立つ大きな現代刀はどうも作為的であり美しさが感じられない刀のように思えました。
また作為的と云えば匂口の締まった刃を強調した作品も同様の感が否めないものです。
2014.5.22
先日、固山宗次の天保年紀と文久年紀の刀を比較して見る機会がありました。文久年紀の刀は刀身に竜の彫物があるもので、地鉄は小板目が無地風に詰み、刃紋は匂口が締まり心の整った互の目で綺麗に出来ていました。天保年紀の刀は、刃長が二尺五寸を超えた長寸で反りはやや深めにつき、地鉄は小板目に杢が交じり地景がよく働いて肌物風を呈しており、宗次の一般的な無地風によく詰んだ地鉄とは大きく異なっていました。刃紋は互の目乱れに変化があり沸がよく付いた出来で力強さを感じられました。やはり宗次の天保打ちの刀はいいなと思いました。
2014.5.11
二代佐々木一峯の脇差を見ました。重ね厚く元先に幅差が少なくやや反りのついた頑丈なゴリッとした姿形をしており、地鉄は板目がやや肌立ち心で鎬は柾、刃紋は互の目乱れで鎬に届く程に大きく乱れ沸が厚くつき、金筋・沸筋が長く入り上出来でした。
手持ちの初代一峯と比較すると、初代の姿は重ね厚く、元先に幅差が認められ反りの浅い姿形をしており、鍛えは小板目肌に流れ肌交じり、鎬も同様の肌となり清涼感がするものであり古風な感じがします。姿と地鉄は初代と二代では全く違う感がしました。やはり初代の方が勝っているようです。
2014.5.10
小澤刀匠に依頼中の新作居合刀が研ぎと拵えが出来ましたので持ってきて頂きました。刀身の鍛えは十二回の折返し鍛錬に三枚鍛えの刀で、研ぎは居合用であるため美術刀剣とは趣が違いますが長寸にも関わらず地刃共に傷は無くよく出来ていて刀匠も満足げの様子でした。
2014.4.14
刀を引き取りに日刀保(公益法人日本美術刀剣保存協会)へ行って来ました。ついでに洋鋼を多く混じえた刀の特徴などをお聞きました。つまりは洋鋼を混ぜて作った刀は、地鉄は無地風で肌立たないものとなる。刃は沸はあまり付かず匂が浅い(表現が難しく今一ピントこない)と云うことでした。帽子は一文字風となり返りが無いようなものとなるのが多いようです。匂が浅いと云う表現は文学的表現なので解り難いものですが、帽子の一文字風となることは大変有益な情報でした。新々刀で帽子が一文字風の刀には注意をすべきでしょう。
2014.4.11
今日は天気も良く初夏のような気温で電車を利用しました。駅から会場まで徒歩で40分程一山超えてブラブラ歩き、桜も散り始めていましたが遠くの山では満開で散歩気分でした。市場では特に欲しい刀や小道具がなかったのですが、特に目を引いたものは藻柄子宗典製で形は大きく朝鮮出兵の濃厚な凝った意匠の透かし鐔(桐箱も二重になっている)がありました。特別保存が付いて40万円位のことを云っていたのでちょっと買えませんでした。しかし迫力のある彫りで良い鍔でした。それと、井上真改の中心で作った目抜きで、これは2,000円で売れました。結局私は何も買わなっかた。こういった事はままあるけれどこれも仕事と云うことです。
刀:菊一文字作
軍刀拵付きです。特に柄は長目でありしっかりしているので試し斬りにも適した刀です。
脇差:金房隼人丞正真作
室町時代後期の大和国で栄えた金房一派の刀工で、初代正真の作です。この寸延び短刀には拵えが付き、生ぶ中心・在銘で保存刀剣鑑定証も付いたお手頃価格です。
脇差:二王清貞
在銘の生ぶ中心に日本美術刀剣保存協会の保存刀剣鑑定書付で、更に脇差拵えが付いています。仏法の守り神の二王(仁王)を銘に冠し守り刀としてもよいものです。初心者の方にもお薦めします。