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日本刀を探す

時代から探す

室町時代以前の太刀・刀

この時代の太刀・刀は古刀と呼び慣わされています。
平安時代末期から室町時代末期の文禄四年(1595)までに製作された太刀・刀で、平安末期頃の太刀は腰反りが強い姿をしており、鎌倉時代中期の備前物は華やかな丁子乱れの刃紋を見せ、南北朝時代には身幅の広い豪壮で長寸の太刀が現れ、室町時代では戦の日々が続き、戦闘は徒戦が多くなり抜き打ちで相手を斬るため片手斬りの刀などが現れてきます。

江戸時代前期の刀

この時代の刀は新刀と呼び慣わされています。
慶長元年(1596)から凡そ明和八年(1771)の間で、この時代の刀は、初期の慶長期頃は南北朝時代の身幅広く大鋒姿の太刀を磨上げた姿形の刀が見られ、寛文期頃では刀身の元幅と先幅の差が目立ち、反りが極端に少ない刀が現れます。

江戸時代後期の刀

この時代の刀は新々刀と呼び慣わされています。
凡そ水心子正秀の出現から明治に入り廃刀令が発布されるまでとし、安永元年(1772)から明治八年(1875)の間とします。江戸時代も中期頃になりますと、平和な時代が続き刀の需要が減り製作自体が少なくなります。江戸時代も後期頃になると外国から開国を迫る圧力に抗する勢力や政権交代の勢力が台頭し、世情が不安定となり刀も大きな姿形をしてきます。

明治時代以降の刀

この時代の刀は現代刀と呼び慣わされています。
大政奉還の後明治新政府により近代国家へと進みますが、今まで武士の魂とも云われた刀は明治九年三月の廃刀令を以て無用の長物と化してし、多くの刀匠が失業や転職を余儀なくされました。しかしその後の戦争で刀は軍刀として再び脚光を浴びるようになります。
そして敗戦と共に所持が許されませんでしたが、刀剣関係者のご尽力で美術品とし所持することが出来るようになりました。
現在では居合い用の真剣や、古刀写しの美術的価値が高いものなど、伝統技法を継承された現代刀匠の方たちは研鑽努力をして見事な刀を製作されています。

国から探す

畿内の国の刀

山城・大和・河内・和泉・摂津の国々(現在の京都府・大阪府・奈良県・兵庫県)における刀工の一覧です。

東海道筋の国の刀

伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・下総・安房・上総・常陸の国々(現在の三重県・愛知県・静岡県・神奈川県・東京都・埼玉県・千葉県・茨城県)における刀工の一覧です。

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南海道筋の国の刀

讃岐・伊予・土佐・阿波・紀伊・淡路の国々(現在の和歌山県・兵庫県・徳島県・香川県・高知県・愛媛県)における刀工の一覧です。

受領銘から探す

「守」の受領銘がある刀

「守」とは国司を意味し、四等官の中で第一等官を指します。すべて受領銘は名誉称号です。

「介」の受領銘がある刀

「介」とは国司を意味し、四等官の中で第二等官を指します。介銘は比較的少なく上総介兼重や美濃介直胤、備前介宗次などがいます。

「掾」の受領銘がある刀

「掾」とは国司を意味し、四等官の中で第三等官を指します。大掾・小掾・掾とありますが、多くは大掾銘で、掾銘では伊豫掾宗次などがいます。