刀工 久保田宗明

久保田宗明は岩手県の郷土刀で県内随一の名声を誇る刀工と云えます。

久保田家は宗明の曾祖父の時代に一関藩田村家の家臣となり、御徒士の職を勤めていた。宗明の父良蔵は久保田家の聟養子であり、良蔵の実家は鉄砲鍛冶であることから、良蔵も御徒士の勤務の傍ら鉄砲鍛冶としても活躍していたと云う。
宗明は岩手県西磐井郡下黒沢村で天保二年六月二十一日良蔵の次男として生まれ名を文吉と云う。幼少より家業の鍛冶を手伝っていた。
嘉永の初年頃、藩命によって江戸の固山宗次に入門し、研鑽の甲斐あって安政三年十二月、宗明二十三歳にして刀工の免許を取得することができ、翌安政四年に帰国し鍛刀に励みます。しかし、刀剣や火縄銃の製造も明治九年の廃刀令により断念するところとなる。明治五年には実名を「文吉」から「宗明」に改めているが、やはり刀匠としての誇りを持ち続けたかったのでしょう。
その後は刀工から野鍛冶となったが、明治二十一年八月十二日、五十八歳で他界した。

刀銘は「宗明」「久保田宗明」「一関士宗明」「一関士源宗明」「源宗明」「陸中国宗明」「陸中国一関宗明」等と切り、「陸中国」を冠するのは、一関藩は東北戦争終結後の明治初年に陸奥國から分立した陸中国の支配下になったからです。

久保田宗明の門人二は、明弘・明国・正直・久春(鉄砲鍛冶)などが知られています。