準備中特別貴重刀剣認定書で伝宇多国房・保存刀剣鑑定書で金房と極められた刀です。時代は室町時代後期で、大和系である処は一致しています。刃文を観るには宇多のように思います。登録:昭和26年3月 福岡県
銘:無銘
時代:室町時代後期
刃長:二尺三寸六分(71.5cm)
反り:六分(1.8cm)
元幅:3.16cm
先幅:2.56cm
元重ね:0.68cm
先重ね:0.54cm
刃文:直刃付属の拵えは黒呂色塗鞘で返角のある裃差しの大小拵です。頭の掛け巻きを切ってあるのは遺憾です。柄糸には若干痛みがあります。
何といっても、脇差拵には小柄が付いていますが刀身はありません。つなぎだけです。どこかの時点で刀身は別の道を歩むことになったのですが気になるところです。ひょっとして換金が原因でしょうか。大刀と拵えの関係はオリジナルのものであり、ニコイチで合わせたものではありません。近年は、拵え付の需要が高いため需要を賄うためにニコイチもありそうです。ニコイチであっても、拵えを横から見て柄の縁金具と鞘の鯉口とで中心がズレてなく、また柄や鞘が刀身とにガタなどがなければ問題ありません。本品は大小拵えを分けて販売する手もありますが、派手さはありませんが、大小揃いの拵えは少ないのでこまま所有して頂きたいと思います。
投稿者: kajiyahiroshi
丹後守兼道(菊紋)以南蛮鉄
銘文:一 丹後 以下切レ/(菊紋) 以南蛮 以下切レ
刃長:67.5cm
反り:0.8cm
ここに「丹後」以下切れと銘のある刀があり、差し表には「一」、裏には菊紋があります。日刀保の審査では丹後守兼道として保存刀剣に合格しています。初代丹後守兼道であると思います。
丹後守兼道について日本美術刀剣保存協会ではどのように見ているのでしょうか。第45回重要刀剣に指定されている二代丹後守兼道の説明を見ると、「初代兼道は、通説に京二代丹波守吉道の二男といわれ、三品吉兵衛と称した。初代にも年紀作は稀有であり、わずかに寛文年紀のものを見るにすぎない。初代の多くはハバキ下に菊紋と一の字をきり付けるが、二代の作には見られず云々」とあります。
書で調べてみると兼道は銘を、吉道、直道、兼道と改めているようですが、兼道は年紀を切ったものが頗る少なく、僅かに寛文年紀のもがあるだけで、それも二代の代銘が存在するかも不明であり、定説の無いこの丹後守兼道について若干調べてみました。
- 刀工大鑑(得能一男著)
(直道 )― 「直道-初代、時代万治。国は摂津。三品丹後守直道・三品丹後守来直道・丹後守兼道、三品吉兵衛。京初代丹波守吉道三男。寛永二年丹後守受領。初銘吉道。次に直道。後に兼道と改める。云々」
(兼道 )― 初代兼道は時代は慶安、国は摂津。丹後守直道・三品丹後守兼道等と切りる。三品吉兵衛と云い、京初代丹波守吉道の次男。初銘を直道。寛永二年丹後守受領。ほどなく大坂に移住。寛文十二年七十歳にて没す。中心の裏に菊紋と一を切るものが多い。 - 刀工総覧
(直道 )― 三品丹後守藤原来直道、延宝六年八月日、菊一文字又は菊ばかりも切る、京二代目丹波守吉道二男大坂に住、後兼道と改む。
(兼道) ― 三品丹後守藤原兼道、丹後守兼道、京初代丹波守吉道二男菊一を切る、大坂住、寛文頃。「兼道-三品丹後守藤原兼道、丹後守兼道、京初代丹波守吉道二男菊一を切る、大坂住、寛文頃。 - 新刀弁疑
(直道)― 直道は摂州大阪の住人 初代丹波守吉道の弟子 丹後守藤原直道と切 又三品丹後守とも銘す 後は兼道と改む 比作地鉄細に強く大乱刃大湾直刃比簾刃丁子乱刃いろいろの模様有 何連も沸匂深く都て丹波守同位の上手也 差表に菊一を切を初代とす。(鎌田魚妙は)「按に丹後守直道吉道と切し事有と見へたり 初代丹波守吉道同時に大阪に来りしならん 三品と号するを以て見れば初代丹波守の弟にや。」とも述べています。 - 本朝新刀一覧
(直道)― 丹後守藤原直道と切 裏に菊一を切 寛文の年号切たるあり 後に兼道と切 大阪初代丹波守が門人也。
(兼道)― 大坂初代丹波守吉道が門人也 初め丹後守藤原直道と切 うらに十六葉の菊と一文字を切 寛文の年号切も有 後に兼道と改む 大坂に住す - 校正古今鍛冶銘早見出
(直道) ― 三品丹後守藤原来直道 菊一文字又は菊計も切 京二代目丹波の二男 摂津に住後兼道に改 寛文。
(兼道) ― 三品丹後守藤原兼道 丹後守兼道 京初代丹波二男 菊一を打 大阪住 寛永。 - 古今鍛冶備考
(直道) ― 三品丹後守藤原来直道と打 菊一文字或は菊とも切 洛陽二代目丹波の次男 三品吉兵エと号 坂陽に住も後兼道と改
(兼道) ― 三品丹後守藤原兼道 丹後守藤原兼道と打 寛永乙丑の年(二年)受領して菊一文字と切 京初代丹波の次男吉兵衛と号 寛永年中直道と改 摂州大阪に居住し寛文壬子の年(十二年)卒須七十歳 良業。
兼道の没年及び、受領時期を記したものが古今鍛冶備考のみであるが、直道と兼道では別人のよに扱われています。もしも、兼道の没年が正しければ、京二代丹波守夜道の子では時代が合わず、また、受領においても、京二代丹波守・大阪初代丹波守よりも早い時期になっています。
色々と調べているその中で、某刀剣商の通販カタログに、「丹後守藤原兼道 菊一」の特別保存刀剣を二代として載せてありました。
興味深い解説があったので紹介します。『父の初代が70歳で寛文十二年に没した時に、彼(二代)の年紀作には「丹後守吉道四十歳」と刻銘してあるから…(中略)…延宝二年41歳の作に「丹後守藤原来直道」と刻しているから、この頃に「直道」と改銘し、更に…云々』とあります。これからすると、兼道は初代・二代ともに銘を吉道・直道・兼道と改銘しているようです。また、各刀剣書にも、直道・兼道ともに各代を載せています。
カタログの解説額面通りに見るならば、初代兼道は京二代丹波守吉道の子とするよりは、寧ろ同世代に近いように思われます。それにても受領時期は、京二代・大阪初代丹波守吉道が寛永十六年、初代兼道の寛永二年(古今鍛冶備考)は早すぎるのではないか。
高野政賢/昭和四十八年九月日
銘文:政賢作/応須崎進氏需 昭和四十八年九月日
刃長:69.6cm
反り:1.8cm
応需銘のある高野政賢の刀です。地元の刀剣愛好家の需に応じて打った刀で、今回、ご本人様より申し入れがありました。刀を相続する方がいないと云うことで、思い入れのある刀であるため先々がご心配のようです。後に粗末に扱われては不本意であるということで当店に持ち込まれました次第です。本人曰く、作刀を注文し出来上がった刀は刀匠自身が自賛しており、不要になったら買い取りますと言っていたいたそうです(現在は物故)。刀匠自身満足のいく出来具合だったのでしょう。刀匠の奥さんも良い刀だから大切にしてください云々と言ってたそうです。本刀はさすが注文打ちのことだけに良い出来となっています。現在、日本美術刀剣保存協会で行われている保存刀剣の審査に出しています。
政賢刀匠は刀剣研磨を得意とする人で、砥ぎの師匠の名は忘れてしまいましたが一流の師匠でして、政賢刀匠は砥ぎも上手です。