最近、宮本武蔵縁の刀工が鍛えた刀を入手しました。
宮本武蔵と云えば吉川英治の小説宮本武蔵が有名で、感動させられた本の一つです。
同じ時代に生まれ、同じ様な環境で育ち、同じ夢を抱いて青春時代を生きる、武蔵と又八を対比させながら描いています。
この小説を読むと、「心の師となるとも 心を師とせざれ」、先哲の言葉を思い出します。。
登場人物の武蔵と又八は、お通と云う女を通し同じ一人であると読者に云っているように思えてならない。即ち、己自信が「心の師となる」生き方をすれば武蔵となり、「心を師とする」生き方をすれば又八となる。
大志を持つ男の生き方は、縁に揺り動かされる弱い心に打ち勝つ己を鍛えていかなければならないと、吉川英治は云っている様に思えます。
宮本武蔵の差料と云えば和泉守兼重であると、まるで教科書にあるが如く見聞しますが、出所は富国強兵のもと国民の意識高揚を掲げる明治時代に書かれた宮本武蔵本からのようである。そこには、古伯耆の安綱と、和泉守兼重の名前が出てくる。しかし、明治以前にはこの名は出てこないようだ。
宮本武蔵を書いた物で古い物は黒田正剛が書いた「武公伝」のようである。それには、武蔵の差料の記載では大原真守と高田貞行の刀が出てくるのである。
何やら明治時代に武蔵を持ち上げるため、刀も一格上げたようにも思える内容です。
宮本武蔵の差料と称する刀は幾つかあるようだがその真偽は定かでないようです。
しかし、武公伝に書かれている大原真守と高田貞行の刀は当時、誰が武蔵から譲られ、そこから誰の手に渡ったかが書かれていて信憑性があり、この武公伝を書いた当時は現存していたと思われます。しかし、残念ながらこの二振りとも現存していないのです。
こうした近年の研究で盲目的に信じてきた悪弊を打ち破り、新たな認識を発掘して頂くことが歴史を正しく知る上で大変重要になってきます。