現代刀匠

11月17日の大刀剣市に合わせて、今年の作刀承認試験に合格された新刀匠の祝賀会が行われ出席をさせて頂きました。
刀匠としての扉が開かれ、心も晴れやかに出発することでしょう。しかし、現在の刀剣を取り巻く環境は厳しく、刀剣に関心を持つ人達は増えつつあるようですが、愛刀家としてのレベルは高くないように思われます。
刀は金持ちの道楽と云われておりますが、それでも刀が好きだと云うサラリーマン達は刀剣書籍を買って盛んに勉強し、頑張って数百万円もする良い刀を購入していたものでした。
昨今では、経済状況とも相俟ってか、刀の良し悪しより値段を優先した庶民的価格とでも言うか、拵え付の数十万円位のものに人気があります。真に刀剣美を求める愛刀家が少なくなっているのでしょう。
こうした状況の中にあって、現代刀匠として作刀し作品を遺していくのは並大抵のことではないと思いますが、刀は永く残る物ですから頑張ってもらいたいです。

宮本武蔵の差料

最近、宮本武蔵縁の刀工が鍛えた刀を入手しました。
宮本武蔵と云えば吉川英治の小説宮本武蔵が有名で、感動させられた本の一つです。
同じ時代に生まれ、同じ様な環境で育ち、同じ夢を抱いて青春時代を生きる、武蔵と又八を対比させながら描いています。
この小説を読むと、「心の師となるとも 心を師とせざれ」、先哲の言葉を思い出します。。
登場人物の武蔵と又八は、お通と云う女を通し同じ一人であると読者に云っているように思えてならない。即ち、己自信が「心の師となる」生き方をすれば武蔵となり、「心を師とする」生き方をすれば又八となる。
大志を持つ男の生き方は、縁に揺り動かされる弱い心に打ち勝つ己を鍛えていかなければならないと、吉川英治は云っている様に思えます。

高田貞行の刀の中心

宮本武蔵の差料と云えば和泉守兼重であると、まるで教科書にあるが如く見聞しますが、出所は富国強兵のもと国民の意識高揚を掲げる明治時代に書かれた宮本武蔵本からのようである。そこには、古伯耆の安綱と、和泉守兼重の名前が出てくる。しかし、明治以前にはこの名は出てこないようだ。
宮本武蔵を書いた物で古い物は黒田正剛が書いた「武公伝」のようである。それには、武蔵の差料の記載では大原真守と高田貞行の刀が出てくるのである。
何やら明治時代に武蔵を持ち上げるため、刀も一格上げたようにも思える内容です。
宮本武蔵の差料と称する刀は幾つかあるようだがその真偽は定かでないようです。
しかし、武公伝に書かれている大原真守と高田貞行の刀は当時、誰が武蔵から譲られ、そこから誰の手に渡ったかが書かれていて信憑性があり、この武公伝を書いた当時は現存していたと思われます。しかし、残念ながらこの二振りとも現存していないのです。
こうした近年の研究で盲目的に信じてきた悪弊を打ち破り、新たな認識を発掘して頂くことが歴史を正しく知る上で大変重要になってきます。

見直される軍刀

今日、北朝鮮はまたもやミサイルを発射した。日本の上空を飛び越え北海道の襟裳岬沖の太平洋上に落下した。
国際社会を無視し、アメリカを挑発し、日本を脅かす許し難い行為である。
こうした行為は日本の防衛論議にも影響を与えるだろう。
今、憲法改正論議が浮上し、自衛隊を憲法で明確化する動きも云われている。
戦争は絶対にしてはいけない。しかし、自国の利益のみ優先して他国と摩擦を生じさせ、軍事力を以て事に当たるのが世界に実情であるように思えます。
武力を持っていなければ、何処からも攻撃されないのか、子供遊びの、みそっ子じゃあるまいしあり得ません。ロシアや中国が暇つぶしのドライブで日本列島の回りを戦闘機で飛び回っている訳がない。
やったらやるぞ、3倍返しだ!戦争抑止力のためにもその備えが必要であると思います。
理想は理想として、今生きている現実社会をどう対応していくのかが大切でしょう。
欧米では自国ファーストが叫ばれ、民族主義的な考えが広まりつつある中で、日本においても「日本ファースト」が国政選挙に出ると云われています。
将官刀緒付き94式軍刀こうなると防衛本能の意識を擡げ俄然、軍刀が脚光を浴びるように思えてなりません。
今の軍刀は愛国心の象徴のような印象を与えますが、仲々状態の良い軍刀が見つからないのが現実です。
ここに来て益々軍刀の評価は上がってきているように思えます。

刀剣会の展望と課題

近年の刀剣を趣味とする人工は右肩下がりを続けているのが現状で寂しいかぎりです。
その要因とし考えられる一つには、嘗ての刀剣ブームに乗って続けてきた愛刀家が高齢となり引退しているからではないでしょうか。
刀剣の価格は下落し一昔前の半値位まで下がり、購入するには良い環境となっていると思います。
しかし、若手の人達の間ではIT機器の発達に伴い、趣味趣向に変化が出てきたのでしょうか、また、草食系男子などと云って如何にも刀には縁のない人々が増えてきたような気さえします。
愛刀家二世とでも云いましょうか、親が刀好きであれば当然刀はある程度蒐集し所有しているのですから、その子は敢えて刀を購入することもなく親から相続すればよく高額な出費をしないですむわけです。ところが、この二世がなかなか育たない。これは親の責任と云う訳にもいかず、難しいところです。

スポーツの世界では日本の女性達の活躍が目覚ましく輝いている昨今、世上では刀剣女子などと云って女性の日本刀への感心が高くなっており、男性だけの世界であったような刀剣の世界まで女性の進出が広まってきています。
博物館や美術館、また、刀剣の鑑賞会などで直接、間接に刀を眺めていても、それは一時の娯楽といった感じではないでしょうか。末永く刀剣を趣味とするには、やはり、手元に刀を置き、その刀を通して勉強して行く中でこそ刀への感心が深まって行くのであろうと思います。

一方、刀剣人工の減少に歯止めをかけようと、それぞれの刀剣会では様々な努力をしていることでしょう。
刀剣は他の趣味とは異なり、取り扱いには危険を伴うので、不特定多数の人を相手に新規の勧誘にはリスクが付きます。
新規の入会には現会員の推薦や、会長との面接を受けたうえで等の制約があるのでは新会員になるためのハードルが高いのでしょう。
そもそも、刀が好きだと云う人は、世間を憚るような向きがあり個人の間では横の繋がりはあまりなく情報の入手が容易にできないでしょう。
最近ではインターネットを活用した会員の募集が様々な分野で広がりを見せています。同様に刀剣を趣味とする会でも、刀に興味を持っている人達を集めその中から新会員へと導いていく事とを考えていく必要があるでしょう。
特殊であるが故のリスクにどう対処するのか、縛りに何をするのか、また、その危機管理はどうあるべきなどが新会員の獲得の上で一層問われることになります。

また、会の運営面でも、会員相互の刀剣鑑賞会では、会員各自が刀を持参し皆で鑑賞しあうことを行ってきましたが、名刀を多く持っている会員も高齢となってきます。若い方が名刀を持つことは、金銭的にも仲々容易いことではないでしょう。
刀剣の鑑賞会に参加する人は、自分では持てない名品を、同じ会員の方の行為で拝見させて頂けることが楽しみであり、勉強にもなり、入会している意味を見出せます。高齢化が進みこうした状況を長く続かせて行くことが難しくなって来ると、結果、名刀を多く扱う刀剣業者に依存する会となってしまう感が否めません。

日本刀展示会の運営

5月7日にフォレスト・イン昭和館の9階眺林の間で「多摩の名刀展」が開催されました。
私も開催日前日からの準備に携わることができました。
前日は午後2時よりショーケースの搬入が行われ、同時に小道具類の展示用テーブル等の配置を行いました。ショーケースの中には枕と白布を敷くまでとしました。
当日は、午前8時より展示品を並べる訳ですが、各ショーケースに入れる46振りの刀剣などレイアウトを事前に決めておいたのですが、いざ刀を置いてみると、刀・脇差・短刀などが混在するショーケースでは、作ってきた展示用枕に不具合がでるなどでちょっとした問題が起きたりもしましたが、概ね立派な展示の設営ができました。
出品の刀剣は古刀が18振り、新刀が16振り、新々刀が7振り、現代刀が5振りで、皆さん良い刀をお持ちになっていると感心させられました。
また、主催者の昭和の森芸術文化振興会の取り計らいで出品目録も冊子形式の立派なものを作って頂きました。
出品目録
開催は一日だけでしたが、観覧者の方からは一日ではもったいない等の多くの声が聞かれ、観覧だけでなく講演も行い盛況の展覧会となりました。女性の入場者も多く講演会でも熱心に質問をされている女性がいます。
近年ではツイッターで刀剣展示会の情報を載せている処もあり、また、展覧会へ参加しての感想などなどを発信していて活発に活動をしている女性も多くいるようです。
会場内では写真撮影は禁止となっていましたが、こうした画像をツイッター等にアップすることで情報交換や相互の交流に繋がることを考えれば、一律に撮影禁止をすることは如何なものかと思いました。
地域での刀剣展開催であることは、刀剣類の展示に適した会場となると仲々難しく、為にセキュリティー上の対策が大きな問題点となります。
鍔など小道具や拵は直接手が触れてしまう所に置かなければならなかったので、場内警備には相当の気配りが必要でした。
営利が目的でないため、入場が無料の地域展覧会では、ショーケース等の費用が大な負担となってしまいます。